何見てるの?

日々見ている興味を抱いたものを書き記したブログです。

絵を眺めていると性別とかどうでもよくなってしまう。

描かれているのは何かな?

なぜか実家には『一枚の絵』っていう雑誌が毎月届いていて、それ以外にルーブル美術館全集という分厚い本があって、写真アルバムの表紙は近代作家の絵が印刷されていて、季節ごとにかけ替える滝平二郎さんの絵があってそれ以外にもちょこちょこ絵が飾ってあった。私が美術に興味を持つには当たり前の環境だったのかもしれない。

そこから美術について調べたり作家の周辺環境や社会を巻き込んだムーブメントに興味がわいて大学でそのあたりの勉強をしたのだが、そこから好きになった作家がアンディ・ウォーホルエゴン・シーレフランシス・ベーコンである。(※卒論はゲルハルト・リヒター

衝動的にその情熱をキャンバスにぶち込んだような画面に魅了されて夢中になったのだが、そこからアーティストのその熱はどこからくるのだろうかと、それまでの経歴やバックグラウンドが気になって調べてなるほどなと感じることが多くあった。
例えば移民●●世であるとか、●●人であるとか、性的マイノリティであるとか、疎外されレッテルを張られた経験のある人物だった。
それでも彼らの作品は湿度をもって筆が走っていてねっとり絡みつくようなインパクトを持って画面からその存在を主張する。その描かれた人物が男だろうと女だろうとどうでもよくなる。そんな視覚体験をさせられた作家なのだ。

漫画からも性別などどうでもよくなる経験があった

9歳上の兄から「少女漫画だから読めるんじゃないかな」と小学校低学年の頃に渡されてた漫画が『魔天道ソナタ』である。
今思うとなぜ兄がこのプリンセスコミックを持っていたのかよくわからないが全巻揃っていた。
少女漫画なのでキラキラしていて天使と悪魔のファンタジーストーリーを夢中になって読んだが、これが耽美的表現だとは知らず一気に読んだのだ。
それから、ピアノの先生の娘さんが読まなくなった漫画『マージナル』がピアノ教室の待合室においてあったので読んだ。
この作品ではっきりと男女の性別的役割の必要性が描かれた異世界が描かれていたことからそれを意識するようになった。
そういう意味でこの作品は私にとってどうでもよかった性別を意識させた衝撃的な漫画だったのだ。

とりあえずの締めとして

このままだと広がるばかりで話が終わらないので、そんな経緯から俗にいうラブストーリーという型にはめられた男女のもつれにあまり興味を持たず、絵画も映画も漫画も「あなたの血肉を見せてくれ」という少々ずれた感覚を自分の根底に築いてしまったのだっていう話。